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感想記

許すことについて the last of us part2

 the last of us part2は前作から5年後が舞台となる。
 女兵士アビーによってジョエルを殺害されたエリーが彼女に復讐を遂げるために旅に出る、という内容。

 結果としてエリーは復讐を果たすことができずに終わる。
 一度は返り討ちにあい、二度目は寸前のところまで追い詰めたがトドメをさすことができなかった。
 エリーがアビーを殺すことができなかった理由については、各々が何となく想像できるようになっている。

 この作品では多様性というのがひとつのテーマと考える向きがあって、昨今のポリコレブームと関連付けられ賛否両論あるらしいが、個人的にこの作品の根本にあるのは"許す"ことだと感じた。多様性というのも寛容の問題のひとつに過ぎない。

 復讐というのが一つの大きな問いかけで、アビーからジョエルへの復讐というのは非常にわかりやすい。
 おそらく多くの人間がアビーの立場に立ったときジョエルを許すべきではないと思うだろう。
 それでは、エリーからアビーへの復讐はどうだろうか?
 これも正当と考える人もいるだろうが、逆恨みに過ぎないという意見も出てくるだろう。
 
 そもそもジョエルがエリーを助けるために取った行動は許されるべきなのだろうか?
 エリーは許せないと言ったが、ジョエルの側にすれば、いくらエリーを大事に思っていても簡単な決断ではなかったことは想像に難くない。

 ある行為が許されるかどうかという問いには絶対的な答えは存在しない。
 法の裁きがなくなった世界では尚の事だ。
 しかし、作中では一つだけ明確な答えを提示している。
 それはエリーやトミーの末路から明らかなことだ。

 寛容でない者に安息は訪れない。
 他者を許すことで救われるのは、自分なのだ。