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感想記

生きるために殺す The Last of Us

 人をゾンビのような存在に変えてしまう寄生菌が蔓延した世界で運び屋として生きる男、ジョエル。

 ジョエルは寄生菌蔓延初期に娘を亡くし、その過去を封印することで20年という歳月を生き延びてきた。

 そのジョエルが寄生菌に耐性を持つエリーという少女と出逢い、彼女を無事に研究施設へ送り届けるというのがゲームの流れ。

 最後にジョエルは、寄生菌のワクチンを生成するためにはエリーの犠牲が必要となるという非情な現実を突きつけられるが、彼は世界かエリーかという問いに対して、迷わずエリーを選び、囚えられた彼女を救い出す。

 

 上のあらすじのみだと、ジョエルの行動は不合理ではあるが、話としては綺麗に収まっている。

 しかし、この物語にはもう少しだけ続きがある。

 ジョエルはエリーと共に施設を脱出し、彼の弟が住んでいる集落へ向かう。この道中でジョエルはエリーに対し、施設には既にエリーと同じ耐性を持っている人たちが何人もいたのでエリーはもう必要なかったと嘘の説明をする。

 そして、集落の付近までたどり着いたとき、エリーは、自分はワクチンのために犠牲になることを受け入れるつもりだったと告白し、ジョエルに先程の話は全て真実であると誓ってほしいと告げる。

 これにジョエルは誓うと返答し、エリーもわかったと言って物語は幕を閉じる。

 このエピローグによって美談は一転し、物語はどこか苦い味わいを残すものに変容する。

 

 ジョエルとエリーは施設へ向かう旅の最中、感染者を含めた多くの人間を殺害することになる。

 生きていくためには仕方のないことだと自分自身を納得させながら。

 生きるために殺したり、奪ったりしなければならないというのが、この作品に通貫した筋のようなものだし、実世界での本質でもある。

 しかし、最後の最後でジョエルは、この「生きるために殺す」という原則を否定するような選択をしているように見える。

 当然のことながら寄生菌のワクチンが出来なければ、人類はこのまま滅びてしまうからだ。

 だが、これには長期的かつマクロな視点からすれば、という注釈が入る。

 ジョエルからすれば、娘の死と向き合わせ、彼をもう一度父親にしてくれたエリーを失うのは耐え難いことである。

 作中でヘンリーとサムという黒人の兄弟と行動を共にする時期がある。結局、サムは感染してしまい、感染者となったサムを撃ち殺した自責の念でヘンリーは自害した。

 ジョエルもエリーを失ってしまったら、一度目は耐えることが出来たが、おそらく二度目の喪失には耐えることが出来ないだろう。

 つまり、エリーの死は、自分の死でもある。

 だから、ジョエルは迷わずにエリーを選び、施設の人間を殺して回り、嘘をついてまでエリーと一緒にいられるように仕向けた。

 

 生きるために殺す。

 The Last of Usはジョエルの生存戦略と読み解けるだろう。